何故 Free Software ではいけなかったのか

Open Source という(多分にマーケティング要素の強い)言葉と概念とが生まれてきたのは何故なのだろうか、と思う。その前に多分に近しい Free Software という言葉と概念とがあったにも関わらず、である。 これは Free Software = Richard Stallman であるため、と考えてみよう。 RMS という個性が意思を表す手段が Free Software であり GPL である訳だ。Free Software を語るとき、そこには必ず RMS が存在する (対照的に Open Source を語るときには ESR や Bruse Perens は必ずしも必要ない存在だ)。 Free Software という言葉と概念を利用しようとする時、RMS の意思の束縛からは開放され得ない。何らかしらの新しい言葉と概念をつくり出す必要性に駆られたのでは無いだろうか。 平坦に言えば、頑固親父の後を継ぐのを嫌がって新しいブランドで店を出した二代目というところか(身も蓋もない)。