プロファイル:SpikeSource社CEO、Kim Polese
Poleseは、自分を根っからの技術屋と呼ぶ。いつもコンピュータが好きだった。9歳といえば、多くの少女が何か別のものに注意を向けている年齢だが、Poleseにはコンピュータが無限の可能性を秘めた存在と映った。
Poleseはいま44歳。カリフォルニア州バークレーで生まれ育ち、幼い頃にコンピュータにはまった。「ローレンス科学館がありましてね。ボストンコンピュータ博物館のようなものですが、手を触れてよい展示物がたくさんありました。子供でも遊べるコンピュータがあって、すばらしかったですよ」
Poleseに強い印象を残したアプリケーションの1つにElizaがある。今日の標準では原始的とも言える人工知能プログラムだが、1966年にJoseph Weizenbaumがこれを書いた当時には画期的だった。「これに一連の質問をぶつけていって、ループを起こさせるのが面白くて」とPoleseは言う。「そうやってかなり複雑な会話をつづけていけるコンピュータプログラムで、このプログラミングの秘密は何だろうと不思議に思ったものです」
以来、Poleseは膨大な時間をコンピュータラボで――最初はプログラミングを学ぶため、次はプログラミングを教えるために――過ごすことになる。いまだにコンピュータへの愛情が薄れないのは、両親の励ましがあったからだ、と言う。「これは女の子のやるものじゃない、なんて一言も言いませんでしたから。私を信用してくれたことがとてもありがたかったです」
女の子が情報技術にもっと目を向けるよう、社会としてできることがたくさんあるはずだ、とPoleseは信じている。役割モデルとなる女性の科学教師や数学教師を増やすこともその1つだろう。「女の子にも技術が魅力あるものに映るような場と機会が必要ですね。少しも怖くなくて、むしろ面白いと思えるような。私にとってのElizaがそうだったようにね。恐ろしくもなく、男の子本位でもない技術との出会いがあって、あとは、ちょっとした励ましがあれば――あるいは、邪魔するものがなければ――持って生まれた好奇心なり器用さなりが自然に現れてくるものです。大袈裟なことはいりませんよ」
PoleseのIT経歴は豊かである。カリフォルニア大学バークレー校で生物物理学の学位をとり、その過程で「幅広い科学技術のコース」に触れたのち、Sun社で製品マネージャを務めた。同僚のJames Goslingが開発したオブジェクト指向プログラミング言語にJavaと命名したのは、Poleseである。
「最初はOakと呼ばれていたんですよ。で、関係者全員を一室に呼び集めて、缶詰にして、頭をひねり合いました」とPoleseは言う。「候補の1つとして、これも出てきました。私が望んでいたのは、Webページに命を吹き込むというこの技術の本質を瞬時に伝えられるような名前でした。全員で考え、それぞれに投票して、最後に私が決めました」
Poleseは、現在、SpikeSource社のトップとして、IT業界に足跡を残すという望みを実現しつつある。「ソフトウェアという土地を開拓し、耕せるだけの力を持った企業の発展に尽くすことは、昔からの願いでした」と言う。SpikeSource社はオープンソースソフトウェアの「スタック」を開発し、テストし、販売する会社である。スタックとは構成済みのコンポーネント集合を言う。SpikeSource社では、「infrastructure-ready(インフラストラクチャにはめ込むだけで使える)」をこれの謳い文句にしている。
Poleseにとって、技術との生涯かけた恋愛が成就しようとしている。「こういうプロジェクトには、昔から魅力を感じていました。SpikeSourceチームと出会ったとき、この人々が何をやろうとしているかを見て、心を揺さぶられました。私自身が過去20年間やってきたことの多くがここにありますし、それがオープンソースとWebの時代に実現されようとしているのは、実に感慨深いものがあります。私は優秀な技術チームと協力して、この画期的な発明に現実世界のニーズとのお見合いをさせようと思っています。とてもとてもわくわくしていますし、とても充実しています」