Miguel de Icaza氏インタビュー

先月、BrainShare 2005のためにソルトレークシティを訪れた。そのときの目玉の1つがMiguel de Icaza氏のインタビューだ。同氏はフリーソフトウェア運動の立役者で、携わったいくつかのプロジェクトは大成功を収めた。Nat Friedman氏と一緒に自分たちの会社も立ち上げ、その会社はその後Novellに買収された。BrainShareでは全員そうだったようにMiguelもスケジュールがぎっしり詰まっていたのだが、金曜朝に予定された基調講演の準備の時間を削ってこのインタビューに答えてくれた。

MiguelのプレスインタビューはMonoがテーマということになっていたが、私はそれ以外のことを聞いてみた。

Joe:Mono以外のことをいくつか質問してもいいですか。

Miguel:もちろん。どうぞ。

Joe: フリーソフトウェアの世界でも特に輝いているスターとして、ご自身についてのお話を聞けたらと思います。Monoについては、今週既にSlashdotのインタビューでお話しいただいていますから。フリーソフトウェアとの出会い、そしてご自身のこれまでの経歴を簡単に教えてください。

Miguel: 友人の勧めで、というのも当時私たちにはUnixマシンがいくつかあって、それでその友人がGNUについて調べてみろと勧めたんです。学校のUNIXとSPARCのマシンに使えそうなEmacsとフリーコンパイラがあるから、と。1990年のことだったと思います。そう、1990年でした。

そのときにGPLについて読んだんです。それからManifestoなどについても。物事が違って見えるようになります。初めはプログラムのソースコードが手に入るのがすごい、と思う。でも、ほかにももっといいところがたくさんあるとわかってきます。

Joe: 何歳頃のことですか。

Miguel: たしか18歳、いや18歳になるところだから17歳でした。当時国立メキシコ大学の学生でした。

Joe: そこでシステム管理者をしていたのでは?

Miguel: ええ、でもそれはその後のことです。原子物理学研究所のシステム管理者でした。

Joe: わかりました。そのようにしてこの世界と出会ったのですね。最初に参加したオープンソースプロジェクトは何でしたか。

Miguel: よく覚えていません。Wineのポートなしにrouteで実行するルーチンを作ったような気がします。その後でMidnight Commanderを手がけました。

Joe: それが大成功第一弾ですね。

Miguel: Wineをやっていたかな、当時は。Wineをライブラリにする作業です。いいえ、当時はちっとも大成功なんかじゃありませんでした。私が作ったのはほんの小さなツール、それだけです。ちっぽけなツールでした。

Joe: Midnight Commanderが、ですか?

Miguel: ええ、でも1992年のことです。

Joe: 今もLinuxディストリビューションに入っています。

Miguel: そう、そのとおりです。今は私は続けていなくて、ほかの人がやっています。Midnight Commanderは拡張されて、コミュニティもでき、大きくなりました。でも、私がリリースしたときは小さな1つのプログラムに過ぎませんでした。

Joe: Gnumericを始めたはいつですか。それが次のプロジェクトでしたか。

Miguel: いいえ、違います。その後はLinuxの仕事をしました。Linuxカーネルです。David Millerと一緒にLinuxをSPARCに移植しました。LinuxとSGI用にたくさんのデバイスドライバを作成しました。それからLinux RAIDでRAIDカードをホットプラグできるようにしました。これはIngo MolnarとGadi Oxmanと一緒にやりました。

Miguel de Icaza
黙想するMiguel(Joe Barr撮影)
Joe: GNOMEは誰が始めたんですか。

Miguel: 私がFederico Menaと始めました。その頃FedericoはもうGIMPを手がけていて、私自身はSGI Linuxで忙しかったのでFedericoにやってもらおうとしたんですが、Federicoはやりたがらなかったんです。それで私は言いました。私はSGIの作業を全部ストップする、こっちを一緒にやろうと。そうやってGNOMEを開始しました。1997年8月のことです。Gnumericを手がけたのはその次の夏でした。

Joe: そうしてGNOMEは立派に成長したんですね。

Miguel: はい。

Joe: それからNatと自分たちの会社を始めたんですね。

Miguel: はい。1999年です。

Joe: Susanと私は、Computer MuseumであなたとNatにばったり会ったことがあります。

Miguel: ああ、サンノゼで。そうでしたね。

Joe: その頃、会社の構想を練っていましたね。

Miguel: そう、お会いしたときはまだ会社は始めていなかったと思います。会社を設立したのは10月でしたが、会社を始める話は4月からしていたので、お会いしたのは4月から10月の間でしょう。たしかその夏は、資金調達や人材確保とか、そういった準備のために多くの展示会に参加していました。お会いしたのはその頃だと思うので、会社設立前のはずです。

Joe: そうでしたか。それから後のあなたの経歴は非常によく知られているんですが、そこに至るまでの経歴もうかがいたかったのです。そのとき設立した会社Helixが後のXimianの前身ですね。

Miguel: そうです。

Joe: それからEvolutionプロジェクトを導入したんですか。

Miguel: いいえ、いや、そうですね。Evolutionは最初は電子メール用のライブラリでした。Bertrand Guiheneufが書いたもので、彼は今Appleにいます。Bertrandがそのライブラリを作成して、それで私はGNOME委員会にメールを書いてGNOMEにメールプログラムが必要だと言ったんです。

必要な機能の概略は私が示しました。最初はGNOME Mailと呼んでいたのですが、BertrandはEvolutionという名前に固執しました。彼は”イー、ダッシュ、ボリューション”とか、そういう呼び方にしたかったんです。経緯は忘れましたが、Bertrandは本当にEvolutionという名前に変えました。BertrandがHelixの社員だったのは最初の約1年間ぐらいです。フランスに帰国することになって会社を辞めました。PhDかなにかを取ったと思います。

Joe: そのEvolutionは、いまや――私の仲間でオーストリア(編集部注:原文のドイツは誤り)出身のAndreasが今朝の基調講演のデモから得た情報が正しければ――新しいGroupWise機能にコピーされるまでになったとか。

Miguel: そうです。それについてはいろいろな意見がありますが、今の時点では何ともいえません。誰も断定できないと思います…。Outlookから来たものもあるだろうし、妙なメールインタフェースから来たものもある。こうしたものすべてが機能の追加更新だということです。

Joe: それからXimianはNovellに買収されました。ご自身の哲学の見地から、またフリーソフトウェアへの配慮という観点から見て、現在のNovellでの状況には満足していますか。

Miguel: はい。今も私が管理しています。ソフトウェア開発をするなら、純粋なオープンソース企業でいるのは難しいと思っています。コンサルティング業なら大丈夫でしょうが、ソフトウェアを純粋なオープンソースとして生産するような会社の場合、かなり困難です。

当初Ximianでやってみようとしてうまく行かなかったので、オープンソース半分、プロプライエタリ半分にしました。Novellも同じ方向で一致しています。私も少し安定志向で考えており、Novellには今も膨大なプロプライエタリコードのラインがあり、私たちはオープンソースにも多大な投資をしています。

今、会社のXimian部門は大いにソフトウェア開発を続けていて、うまく行っています。Linuxグループ、KDE、Evolutionグループはすべて、オープンソースのままです。Connectorもオープンソース化しました。XimianのときはMonoがオープンソースでConnectorはプロプライエタリでした。デスクトップ用のものはすべてオープンソースです。この分野では、Novellはサービスを試みています。NLDを入手する場合、エンタープライズ顧客用の更新を取得するサービスに料金を支払う、といった場合のサービスです。または、エンタープライズ以外のエディションも入手できます。SUSE 9.xリリースです。エンタープライズ版はSLES 9とNLDです。

Joe: KDEとGNOMEの競争は、ときどき険悪な争いに発展していろいろな人がSlashdotにコメントしています。コミュニティが騒がしい状態になりがちです。GNOMEとXimianを代表するあなた方とSUSEのどちらも皆1つの大きな会社の一員となった今、これについてどう考えていますか。どちらの環境も残って行くのでしょうか。

Miguel: どちらの環境も必要です。どちらか一方の環境専用のアプリケーションが存在していると考えられるからです。両方の環境をリリースしなければ不利になるでしょう。一方の環境がもう一方に先んじている市場ではなおさらです。ですから両方をリリースする必要があります。

ソフトウェア開発の観点からいえば、少なくともMonoグループとCambridgeグループは、GNOMEライブラリだけを使って開発を続けています。ライセンスについて長い議論が交わされても、つまるところは顧客が余計な料金を支払わなくても使えるのと同じツールを使うというところに落ちつくので、そうしています。

SUSEも開発は行っていますが、ほとんどがカーネル、ライブラリ、Xサーバに関する開発で、新しいアプリケーションを開発するという感じではありません。会社のSUSE部門はパッケージ作成が中心です。

Joe: 昨日、Novell CIOのDebra Anderson氏のインタビューで、Novellの移行について話しているときに聞いた話です。ドットネットの問題があるからLinuxへは移行できない、と聞いたAnderson氏は、「MonoがNetWareに移植されているからできますよ」と答えたと話していました。つまり、Monoは、WindowsユーザがLinuxに移行するための、いわば出口戦略になっているんですね。それなのに、Monoのような”Microsoftびいきの”ツールを作っているといって責められる。

クリックで拡大表示
Miguel de Icazaが描いた’釣鐘曲線’
(Miguelは私のノートを取って何かを描き始めた)

Miguel: どんな集団にもこういう性質があります。何の統計かは関係ありません。でもどんな集団でもこうした曲線があります。標準分布です。

Joe: 釣鐘曲線ですね。

Miguel: そうです。必ずこういう両極端の人々がいます。どんな質問でもいいのです。身長でもいいし、塩が好きか砂糖が好きかでもかまいません。どんな質問であろうと、どちらかに極端な回答をする少数の人々が必ずいます。完璧な曲線の場合には、それぞれ11パーセントずつになり、こっちは78パーセントになります。MonoがMicrosoftから来ているから、Microsoftに関するものは何でも嫌いだからMonoは嫌いだ、と声高に主張するグループが必ずいます。そうした11パーセントのために時間を無駄にしたくはないのです。

Joe: そのMonoが今、Windowsから撤退するための戦略になっているのは皮肉な気がします。

Miguel: 最初からそれが目的でした。WindowsからLinuxへの移行手段として使うことを常に目指してきました。自分たちの開発作業にとっても優れた開発プラットフォームだったので、なおさら必要だったのです。たとえば、月曜日にNetWare 7.1が発表されたばかりですが、これにもMonoが入っています。写真管理アプリケーションがMonoでビルドされているのです。Beagleデスクトップ検索もMonoでビルドされています。

Joe: Beagleも?

Miguel: BeagleもMonoでビルドされています。とてもいいことです。新しいインターネットシェアリングもMonoでビルドされています。Eugenia Loliは約45個のアプリケーションをMonoで実行させています。音楽プレーヤー、音楽再生のユーザビリティ調査も、Monoでビルドされています。

Joe: 昨日小耳に挟んだのですが、休暇のお話を少し詳しく聞かせてもらえますか。

Miguel: ベイルートに行った話ですか。ジャーナリストのRobert Fisk氏の記事がよかったので彼の本も読み、それでベイルートに行ったんです。9月11日以来、そういった記事は米国では好まれなくなっていました。彼の記事をいろいろ読んでいて、ある日、本が出ていると知って買いました。 “Pity The Nation”というタイトルのすばらしい本でした。

この本は1975年から1990年ごろまでのレバノン内戦について書かれています。著者の友人が誘拐されたのだそうです。Terry Andersonという名前のアメリカ人だったと思います。その人が誘拐され、どうやってその人の足跡をたどろうとしたか、どのように誘拐が行われたか、という話でした。その人はずっと同じ市内にいたのですが、どこにいたのかはついにわからなかったようです。

それがこの本に書かれている話の1つで、友人にも話したのですが、この本は千一夜物語のようになっています。とても長い本で、15年間にそこで起こった話を集めたものです。まるで『1984』のようでした。さまざまな同盟が作られては壊れ、また別の敵に対して作られる。最初シリアはキリスト教徒側で、キリスト教徒を救いに来た。でも、極右勢力がこれに反発し、イスラエルを巻き込んだ。そしてイスラエルの攻撃を受け、シリアはパレスチナと地元イスラム教徒側に付いた。みんなが互いに敵対しているのです。とにかく、非常によい本でした。

私はイスタンブールで開かれるNovellのカンファレンスに行くことになりました。滞在中に時間を作ってベイルートにも行くことにしました。妻も一緒に行きました。

Joe: どのくらいの滞在だったのですか。

Miguel: 1週間です。

Joe: 漏れ聞いたところでは、親シリアと反シリア両勢力を訪ねたとのことですが。

Miguel: そうです。当地で1日目の朝起きてロビーに行くと、みんながテレビを見ていて、「あれは何だ」と思いました。ベイルートに行く途中、ヘズボラ(神の党)が大きな集会を開くという記事を新聞で読みましたが、どのくらいの規模のものかは知りませんでした。

観光のようなこともできるだろうし、直接的な行動に参加することもできる。とにかく行ってみました。そしてそれは、思っていたのとはまったく違う驚くべき体験でした。米国でシリアについて、親シリアの集会について報道されていることは真実とは違っていました。

違っていたんです…。米国の報道では、激昂した群集の写真を親シリアの人々として見せています。一方では美しい女性たちがいて、どちらにも叫んだりわめいたりしている人々がいる。独自の意図があったのは明らかでした。

ともかく私はRobert Fisk氏に手紙も書きました。例の本の著者です。そしてベイルートに行くと知らせました。するとイスタンブールに着いたときにFisk氏が電話をくれました。ベイルートに着いたら食事でもしようといってくれました。それで私と妻はFisk氏に会って昼食をともにしました。彼は私たちに酒をふるまってから、酔いもさめるようなキャンプに私たちを送り出したのです。そこでは虐殺のあった場所など悲惨な場所を見せられ、私は酔っ払っていないで理性的な質問をしようと努めました。

とてもすばらしい人物でした。妻は「私たちのことをずっと前から知ってるみたいね。とっても親切にしてくださって」といっていました。

(Miguelは立ち上がって立ち去る準備を始めた)

Joe: Miguel、今日は時間を割いて話を聞かせてくれて本当にありがとうございました。どうぞ、基調講演の準備に戻ってください。

原文